当社について

大化の改新の後、孝徳天皇がこの地に難波長柄豊崎宮を造営しましたが、その後この宮は廃されて荒れ果て、一帯は松林となり、八本松と呼ばれるようになりました。

時代は降って一条天皇の御代となり、正暦年間(990~995年)に藤田重治がこの地の開墾にあたって、孝徳天皇の皇跡を崇敬追拝するための小祠を建立し、これが当社の興りとなりました。

その後、明和9年(1772年)には火災に見舞われて昔の記録等ことごとく焼失してしまい、昭和19年(1944年)にも戦災にあうなどの悲史がありましたが、昭和39年(1964年)に現在の姿で社殿が再建されました。

昭和19年(1944年)に大阪市が行った調査によりますと、孝徳天皇をお祀りする社は、皇居内の皇霊殿以外では当社のみとのことです。

また、大阪では数少ない東照宮社が当社の厳島社に合祀されておりますが、
その謂れとして「大阪冬の陣の折に、本庄村の足立市兵衛の差し出した麦飯に家康公が大いに喜んで市兵衛が勲章を賜ったため、足立家邸内で祭祀された後、当社にて合祀された」という逸話が残されております。

主神 人皇第三十六代 孝徳天皇

相殿 人皇第十五代 應神天皇

相殿 素盞嗚尊

攝社 鹿島神社
相殿 豊受大社

末社 恵美須神社

末社 稲荷神社

末社 東照宮社
相殿 嚴島神社